幸せ探し2 六星占術
こんばんは
訪問してくださりありがとうございます。
今日も、幸せ探しの続きを書こうと思います。
小学校の頃、「絶対幸せになる!」って強く願った理由の一つに次のようなことがありました。
小学生の頃、母親が歯槽膿漏を治したかったようで、ある宗教に通っていたのですが当然家族である私もよく連れていかされました。
そこに集まる人の何とも言えない雰囲気に居心地の悪さを感じました。
母が連れて行ってくれるところといったら宗教がらみの場所ばかりだったので、遊ぶとこや旅行、買い物に連れて行ってほしいとよく思ったものです。
何年か経ったある時、私はその宗教の集会みたいな所にどうしても行きたくなくて、「行くの嫌だ!」と、自分で行くの拒みました。
そこの宗教の人達は、私のことを「神に見放された子だ」と言って、私のことを悪く言っていたそうです。
母もそれを私が知れば宗教に戻ると思ったからでしょうか、子供の私に「神に見放された子」と言ったのです。
そんなこと言われても絶対に行きたくなかったので、それ以来、私は行くことはありませんでした。
そんなことがあって、私は「幸せじゃないような人が宗教に通うなら、大人になって幸せになって、絶対に私は宗教は入らない」と誓ったのです。
小学校6年生の頃だったかな。
幼い私に「良い判断だった」と褒めてあげたいです。
しかし、「神から見放された子」と言われたことは傷つき、いつまでも忘れることが出来なかったですね。
それからしばらくして、「言っていることにおかしなことがある」と、家族みんなもやめたのです。
だから、私は人一倍「大人になって幸せになる」と強く願ったのです。
前回の星占いに続き、次の幸せ探しで私が出合ったのは、細木数子の六星占術でした。
私が中学生の頃だったと思いますが、母が本を持っていたので、自分でよく読んだものです。
その本を見て、私の中で「このくらいの年に結婚しよう」「相手は相性のいい○○星人の人を探そう」と決めました。
自分でアンテナを張っていたおかげで、今の主人と出会い結婚することになりました。
これに関しては、「結婚して正解だった」と感じます。
結婚後にわかった主人の性格の一つがその星に書かれてある一部の性格とぴったりと合い、私はそこが始め嫌だったのですが、「その星の人がもってる性格だとしたら、直るわけないか」と諦めることができました。
周りからは、「よく許せるね」って言われましたが、六星占術を知っていたからこそ「仕方がない」と割り切れたのですから、知っていて良かった情報です。
六星占術が、一致することもありますが、一致しないことも多々ありで、やっぱり物足りなくなってしまいました。
幸せ探しはまだまだ続くのでした・・・
はおんの扉を開けて明日も頑張りましょう (#^.^#)